賞状よもやま話

賞状の歴史について

祭祀用の楽器

青銅「南宮乎鐘」
(2015年始皇帝と大兵馬俑展図録より)

青銅「南宮乎鐘」西周時代 前9~前8世紀
大小の複数の鐘を吊り下げ、棒で敲いて鳴らし編鐘していました。編鐘とは、先祖の霊を祭る宗廟などで儀式のときに奏でる演奏のことです。そのため、鐘の正面には一族の先祖を讃える銘文が書かれているものが多く上の南宮乎鐘には「この鐘を作った南宮乎という貴族が周の王を讃え恩恵に感謝する」といったことが書かれています。)

賞状のルーツを探る

賞状の歴史について、私なりに掘り下げてみました。

長い歴史を辿ると、ルーツは中国の殷から秦の時代にかけての紀元前200年以上前に、その時代の君主が、貴族などに与えた青銅器が賞状の役割に近いものだったように推測します。

青銅器は、貴族の家で祭りを行う時に酒、水、調理器具を入れた道具、または楽器(鐘)などとして作られました。 このような青銅器の蓋や、表面には金文という記号のような文字が鋳込まれ、祭事・叙任などに関しての賞賜をうけたことが記されています。

青銅「南宮乎鐘」
(TV番組「古代中国▶始皇帝と乱世の家臣たち~天下統一への道」より)

その後、竹簡、木簡に文字を書いたものが秦の始皇帝の時代の統治制度の中で主流になり、戦いで兵士が勝利した証しとして爵位が賞されました。竹簡や、木簡は、庶民の手紙などの役割もあり、情報伝達のツールとなって行き、印鑑もこの時期に多く作られました。誰がいつこれを読んだかなど、サインと日付けも記載することで明確に伝わったかが分かるようにしたのです。今でいうところのメールの普及のようなことでしょうか。この画期的に進化したことも影響し、秦の始皇帝が中国全土を統一できたとさえ言われています。

因みに、もっと現代の形に近い賞状のルーツと言えるのは、日本で、戦国時代に君主から家臣に戦いでの功績を称え感謝状を巻紙によって贈ったことから今に繋がっているとも思われます。

まとめ

賞状は、文字の誕生から現代まで連綿と辿って来た長い歴史の間の中で起きた多くの戦いによって贈呈されたものという点や、神聖な意味を持つことからも、現代の賞状のルーツと言ってしまうのは、恐れ多く、飛躍し過ぎかも知れませんが、賞状はこれからも少しずつ形を変えながら続いて行くのだなということを、過去を知ることで確信しました。